当時、吉原を訪れる客のほとんどは、大身の武士や豪商、文化人などでした。そうした身分の客を相手にするには、遊女にとって単なる美貌だけでなく、どんな相手にも恥ずかしくない教養が欠かせませんでした。
遊女の手習い ― 手紙という営業術
遊女屋は、遊女の商品価値を高めるために、さまざまな教育を施しました。女性の識字率が低かったこの時代に、吉原の遊女たちは、ほぼ全員が読み書きができたといいます。
特に妓楼は、遊女の手習い(習字や、文字を書くこと)に力を入れました。なぜなら、手紙が重要な営業手段だったからです。客に「また自分の元へすぐ通ってもらう」ため、そうした手紙や、手練手管(てれんてくだ)には、とても力を入れていたといいます。
教養が、遊女の格をつくる
なかでも、高級遊女のことを太夫(たゆう)といいました。太夫とは、特に歌舞に優れた者のこと。高級遊女ともなれば、身のこなしから品があり、さまざまな場面で機知に富んでいたといいます。
現代にも言えることですが、どんな人を相手にしても中身のある会話ができ、なおかつ楽しませられる人は、やはり魅力的ですよね。遊女たちにとって教養とは、自らの価値を高め、格を映し出すものでもありました。
遊女たちが身につけていた、幅広い教養
- 書道
- 生け花
- 茶道
- 和歌・俳句
- 琴・三味線
- 囲碁・将棋
華やかな装いの奥にあったのは、たゆまぬ研鑽で磨かれた教養でした。その姿を知ることで、花魁という存在を、より深く感じていただけるはずです。
