太夫の歴史は、江戸時代初期にさかのぼります。
始まりは、女歌舞伎の舞台から
その起源は、出雲阿国(いずものおくに)が始めたとされる女歌舞伎にあるといわれています。
当時、舞台に立っていた遊女たち。そのなかでも特に芸に秀でた者が「太夫」と呼ばれるようになった――それが始まりとされています。
つまり太夫とは、もともと芸の頂点を指す言葉だったのです。
四つの大遊郭と、最高位の称号
やがて太夫という称号は、四つの大遊郭において、最高位の遊女にのみ与えられる特別なものへと変わっていきます。
京都の島原、江戸の吉原、大阪の新町、長崎の丸山。この四つです。
太夫がもてなしたのは、公家や大名、旗本、文化人といった上流階級の人々でした。
その格式は、驚くほど高いものでした。かつては十万石の大名にも匹敵する「正五位(しょうごい)」の待遇を与えられ、帝や殿上人(てんじょうびと)の前で芸事を披露することさえ許されていたと伝えられています。
太夫は、美しさだけで評価される存在ではありません。舞、音曲、和歌、茶道、香道、礼儀作法――あらゆる教養と芸を身につけた、まさに特別な存在でした。
禿から始まる、長い修行の日々
けれども、太夫になれるのは、ほんの一握りの女性だけでした。
7〜8歳の頃、「禿(かむろ)」と呼ばれる見習いとして置屋に入ります。雑用をこなしながら、接客の作法を、日々の立ち居振る舞いを、少しずつ身につけていく。
そこから厳しい修行が重ねられます。遊女となった後も、美貌、教養、芸、品格――そのすべてを磨き続けなければなりませんでした。
そのなかで、とりわけ優れた女性だけが「太夫」の名を許されたのです。
華やかな称号の裏には、幼い頃から積み重ねられた修練の日々がありました。
太夫とは、時代のなかで美と芸を極め、多くの人々を魅了してきた存在です。その歴史を知るほどに、彼女たちが背負っていた誇りと覚悟、そして日本文化の奥深さを感じずにはいられません。
